草香北だんじり その1 10/5/3up   <TOPにもどる

 2009年(平成二十一年)12月5日にお預かりいたしましただんじり。同地区が江戸時代から所有され、真横に傾けて荒々しく回す「遣い(つかい)だんじり」として知られています。
このたび漆塗箔彩色のご依頼を賜りました。

ほぼ時系列に沿って漆塗り修復作業をご紹介いたします。

 その2はこちら


下見させていただいた折り。







木の部分はニスか、あるいはクリアー塗装がされている様子でした。棟の黒塗りもかなり傷んでいる状態。


錺(かざり)金具はご覧のように長年の練りで摩滅しているところも見られます。
多くは打ち直すなど補修で対応することにしつつ、完全に新調が必要な部分もありました。
(左画像の一番下など)


また木地そのものの傷みも散見していたのでそこは大工さんに依頼が必要ともご提案申し上げました。



彫刻もニス仕上げ。目は象嵌の凝ったものながら、ところどころ抜け落ちていました。





漆塗り作業開始


野地板は割れや欠けが多く、全面張り替えることにしました。こちらは旧野地板の様子。




彫刻はすべて塗箔彩色(ぬりはくさいしき)とします。

下地作業に入る前に赤丸の部分など、欠けているところを一つ一つ木を継ぎ足し直していきます。



 
懐・懸魚・狭間(欄間)・井筒(虹梁)端・木鼻等々、補修は全ての彫刻に至りました。詳しくは後述しています。




 勾欄

  
 欄干分解の様子。
すこし構造をお分かりならご想像していただけると思いますが、普通男柱を外せばあとは上下に抜くだけで分解できます。

ところが今回、引っ張っても叩いてもびくともしない。すこし格闘してピンときました。
久々の「アリ」でした。




この短い束(つか)、これです。右にずれています。

正確には右に’ずらして’います。こうしないと外れません。
なぜか。

ホゾが三角状になっていて、
  



受ける側も同形状に刻まれています。







この画像→で言うと








手前に入れて奥に嵌めます。

組んだら上と下の欄干が固定され絶対に開きません。アリ組みといいます。
普通は長方形のホゾがささるだけなので引っ張れば抜けます。

また、丸で囲ったところにも工夫が見られます。
男柱との接合部分に、正面から見て隙間が覗かないようにとの配慮。男柱側にこのホゾが入るホゾ穴が刻まれているというわけです。
この構造だと隙間はできません。





 ほかにもあまり見られない工夫がありました。

長い束(つか)のホゾも下から楔(くさび)が打たれ、ここもぜったいに抜けないようになっていました。(あい対するホゾ穴が末広がりに刻まれているわけです。)


  
  抜く前の欄干を裏返して尻から。
  良く見ると楔がわかります。





男柱との接合にも始めてみる金具がありました。
錺金具で隠れる中にわざわざ溝を掘ってあり、L字型の金具で各辺が止められていました。

通例はL字の金具が青い線の位置につくことが多いです。







 彫刻


 手に持つ枡組みの手前の部分、継ぎ足しているのがお分かりでしょうか。


 


 各部拡大です。

ひとつひとつは小さい範囲ながら、切断面を整えてから木を接がなければいけないことも含めて、なかなか手間の要る作業です。






細かいこととはいえ無いとそこが目立つものです。


この龍の顔の下部のギザギザなど5ミリほどのことですが地道に直していきます。







旧い傷んだ野地板・垂木を外し大工さんに新たに施工して頂きます。






こちらは旧塗膜の剥離。
電動ベルトサンダーで剥き過ぎないように注意し素地を出します。
左2本が作業前、右5本が研磨後。


 
虹梁(井筒にあたるところ)の上、平桁にまで傷みが見られました。
すべて修理・補強していきます。





すべて一肌下ろしました。
男柱と丸棒の色に注目、ほかの欄干部材と使われている木が違います。





 



←こちらは棟木。
剥がしていきます。
  ↓







大工さんから帰ってきた屋根。
割れないように野路板裏に和紙を貼っておきます。







棟に漆の下地を重ね、固く締まってから研いでいきます。研ぎ面の低く残っているところをまた下地で拾います。





ムロの中の彫刻群。黄色(この時点では茶)の漆を締まらせています。
金箔が良く乗るタイミングを吟味します。



そして箔押し。
金箔のなかにプラチナ箔を散りばめました。

抜け落ちていた「眼」もあらたにガラス玉を象嵌しています。



 
研ぎあがり下地完の棟はつづいて漆塗りに入ります。長さは六尺ほどあります。



丸くなっていた下側のきわも下地を盛って整形。
堅地(漆の下地)と手作業での水研ぎでは、ご覧のシャープな仕上がりが望めます。



そしてまた塗っては研ぎ下ろし。

漆の’塗り面’を研ぐ場合は油桐などの木炭を使います。
奥の灰色になっているのが研いでいるところ、手前が作業前。








こちらは柱と勾欄(こうらん)の欄干、泥台の部材の一部です。

下地修正したり漆で木目を出したりしている途中段階。
赤線を引いているのが欄干の一番下と真ん中の部材、緑が一番上の丸棒。前述のとおり色が違います。じつは違う種類の木が使われていました。

このあと色を合わせて(ここも天然材料)、仕上がり時には同じ見た目になるようにします。

柱は播州の屋台の柱と大きく異なる点がお分かりになりますでしょうか。わたしどもも初めて経験しますが泥台の延長が直接棟を支えています。






こちらは漆塗り途中段階の屋根。

もともとは木地の色のままニス(あるいはクリアー)がひいてあったのをこのたびは吟味の上、金・朱漆・黒漆・透き漆、を各部に分けて配色します。

この画像は漆の上塗りが完了する少し手前の状況です。ここから完成時にはまた大きく変わります。




 木地呂塗り

 ケヤキは木目が美しく趣き深いので、漆塗りをする場合透ける漆をつかってその木目を活かします。
一般的に木地呂(きじろ)塗りとか言います。

  → 
 左は塗り上がり時。そのときの湿度によって変わりますが漆は特有の初期変化(硬化)として、濃く色付きます。
この色付きは漆特有のもので、かわき始めが濃く(左画像)では真っ黒ですが、徐々に透けて木目が見えてきます(右)。
二週間後くらいの色目の変化です。

また、うち一本(両画像右端)は損傷が激しく新調としました。その一本だけもちろん真っ白。泥台に相当する部分の色(赤丸)も合わせなくてはいけません。右画像は色合わせ後。


 


元の柱をそのまま使う3本も傷みがあるのでは埋め木で補修しました。ここも色を合わせます。


この泥台(にあたる)部分はこのあと、漆を薄く延ばしては拭き上げる「拭き漆」で仕上げました。








←こちらは虹梁。


これら木地呂塗りは、漆の塗膜の厚さがその「色」に如実に現れます。

分厚いところは濃く、薄いところは薄く。つまり全体にわたって一様に仕上げるにはまさに均一に塗らないといけません。

以前床の間を塗ったことがありました(参考記事)。このときの最大の床板は4m近くもあり大変でした。



 うまく塗りあがるとご覧のように、飴色に、しかもしっとり艶やか。

そもそも持つ木目が強調され殊更滋味溢れる面持ちとなります。





 元の肌です。
 別角度。




  その2へつづきます。


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