平成二十二年・村廻り画像集 1 (10/3・4・5・6・7)

 毎年祭りの前には播州一円、それに収まらないすこし遠方まで
多くの屋台蔵をお伺いし、祭り屋台の漆磨きをさせて頂いております。
おかげさまで年を追うごとにその数は増え、今年度は延べ94台にものぼりました。
有り難うございます。

 全てではありませんがその折の様子を、ことしも懲りずにご紹介させていただきます。


 10月3日(日)
 10/3 20:39。

 今年の磨きの初日、曾坂、溝口さんにつづいて最後に向かったのは御蔭は砂川屋台蔵です。平成12年に漆塗りをさせて頂きました。
このたび行かせて頂いたのは久しぶりでして、その間に建て変わった公民館と屋台蔵に気付かずに通り過ぎてしまいました。明るい蔵は漆面がよく見え効率よくさせて頂きました。

画像がありませんが泥台の太鼓隠しにどえらい格子がさりげなく付いています。なんて言うんでしたか。
地獄組み?やったとおもいます。木をあたかも編み物のように組む手法です。
重なるところの中に空きをつくるんかなあ、などと思考を巡らせて見ていると引き込まれます。
一見の価値ありです。





 10月4日(月)

 二日目、朝一は神谷(こだに)の細野屋台蔵。当店で漆塗りをさせて頂いて8年目になります。10:24、磨き完了。

細野というと甲(かぶと)八幡から一番遠い村と聞きます。間違いがなければ確か7km。そのためか本宮の朝の出発ちは大変早いとお聞きしました。台車があるとはたしかに長丁場です。





午後一番は津熊屋台蔵、

 何気なく見ていると気付きませんでしたが、いつも蔵の扉を開けてくださる方がおしえてくださいました。普通と違う箇所お分かりになるでしょうか。

実は、ターンバックルとかを使わずロープのみで弦の綱を張られています。伝統だそうです。
取りようによっては小さいことかも知れませんが、やはり祭り文化の奥深さを感じてしまいます。

 13:50、磨き作業完了。




この日の四台目です、北山田屋台。

 この勾欄の形状は蒲団屋台の名残だそうです。(間違っていたらごめんなさい。)そのことで言うと太鼓隠しの格子も蒲団屋根によくある形式だと聞いたことがあります。
 磨きやすいようにといつもハシゴを前に掛けて下さいます。ありがとうございます。



 漆塗りをさせて頂いてから30年近くなりますがご覧の通りすっきりと磨き上げました。
 16:07。




つづいて参上したのは正八幡・八幡(やはた)屋台蔵です。

 磨き前(左)→磨き後(右)。

北山田と同じく昇り総才一番上の置物は銀にされています。あまり多くないこの様式がたまたま2台続いていたのは画像ではじめて気付きました。

 平成4年当店にて漆塗り。




この日六軒目は福崎・西野屋台蔵です。
はじめて行かせて頂いてからこのたびで三回目だったとおもいます。
そろそろ磨きやすく(色味が出しやすく)なってくる頃です。

 元→ 磨き中→ 仕上がり。



 19:38作業終了。 おもったとおり、良い色が戻って来ました。
また磨く方としても初回ほどチカラも時間も掛からなくなってきました。
これからも良ければお声掛けくださいませ。


 このあと南恒屋の屋台蔵に寄らせていただいて計7台の磨き二日目でした。





 10月5日(火)

 漆面に青空が映りこむと、なんともいえない美しい色を見せてくれます。

 8:59。 磨き作業を終え、艶やかな肌を取り戻した東今宿屋台。
こちらは漆を塗らせて頂いて25年です。





 この日五軒目、すっきりと磨きあがったこちらは正八幡・中野屋台です。
どの屋台も、濡れたような光沢が出てくると疲れなんてどこかに行ってしまいます。
 17:37。




こちらも同じく正八幡、
昨年(平成21年度)に四神露盤彫刻を塗箔彩色させて頂いた御立(みたち)屋台蔵です。

 本体の漆塗りではご縁がございませんでしたが、屋根漆磨きには露盤をさせて頂いてから来させてもらっています。

画像は幣額。露盤をお預かりする際に合わせて漆を塗らせて頂きました。
そういえばこちらの露盤の記事も書くと言いながら未だです。書きたいことがいっぱい溜まっています。一日30時間ください。


 この日は東今宿、西今宿、北今宿、姫路駅松原屋台、
中野、御立、仁色、さんの七ヶ村を廻らせて頂きました。





 10月6日(水)
 この日はいつもに増して早起きし、生野へ。

 いつも大変お世話になっている永田さんのいらっしゃる生野二区です。かつての宇佐崎屋台です。狭間彫刻は東山。

 こちらも3回目か4回目の訪問。一番最初の磨きは本当に大変でした。3人がかりで2時間みっちりしてもいまの6割程度のツヤと色。
後ろ髪を引かれながら時間の関係で次の村に向かったのを覚えています。





 わざわざハシゴと歩み板を組んでくださって助かります。

 大きな蔵で左に子供屋台があります。ちらっと棒が写っていますね。




>永田さん、公私ともにいつも有り難うございます。
またお酒ご一緒できたらとおもっています。






 つづいて生野三区。

 磨き作業終了、12:05。

 さて生野町は言わずと知れた銀山で栄えた町。
旧吉川邸といってかつての郷宿を再整備されて「井筒屋」として開放されたり、それら歴史的建造物の多く残る素敵な町です。三区の蔵の前の姫の宮神社やそのあいだの渓谷、そこに架かる古い橋も素敵です。住民の方々のあたたかさも、皆さん自身による手造りの町おこしの心地良いイベントなどで自ずと伝わって参ります。

 このたび三区の屋台蔵の東隣にまた旧い邸宅が再整備されました。
 
 とてもいい雰囲気です。こんなところで時間を忘れて一日ぼーっとしてみたいです。
ちなみに無料とのこと。春の風が吹く頃にみなさん一度生野町散策などいかがですか?


 この日は7台の屋台を磨かせていただきました。





 10月7日(木)
 この次の日は飾磨の両宮が祭りを迎えるということで飾磨中心に11台の磨き作業です。


 15:42、須加屋台終了。




 津利義幸師の狭間彫刻。

 平桁は梨地粉を蒔いています。
さいきんはあまり見ませんがこの当時(昭和52年)はよく用いた手法です。



 廻らせて頂いている中で最古い屋台の一つです。蔵二階からの全景。




 つづいては都倉屋台です。

 いつも説明できない存在感に高揚してしまいます。 16:59。




 8軒目は西細江屋台蔵に伺いました。作業終了、18:57。



 手を動かしながらにぎやかな声に思わず目を向けると
お子さんたちが並んでいました。

 お菓子でしたか、なにか配られていました。とても良い光景でした。

 わたしはいわゆる第二次ベビーブーム世代で、当時子ども会の祭りやら七夕なんかの行事でもそれこそ子供がいっぱい溢れていました。特別な日やなくても道でボール遊びしたり、ハクボクで落書きしたり。かつてそうだったうちの校区もいまでは生徒数三分の一くらいだそう。遊ぶ子供の声も職場で仕事をしていてもほとんど聞こえてきません。

自分の近所がそんなことなので、この西細江さんのような地域一体、世代を超えた繋がり・ふれあいを拝見すると、とてもあったかい気持ちになります。
地域社会というものはいつまでもこうでありたいものです。




 さて続いては、どちらかすぐに分かる画像から。
 
 こんなところにもこだわりがあること、恥ずかしながらこのたび初めて気付きました。
 東掘(ひがしぼり)屋台です。 



 東掘さんも独特のオーラを感じます。 18:57、作業終了しました。




 毎年10月7日21時といえば玉地屋台蔵に参ります。
 肩合わせを終えられ、蔵に仕舞われるのがその時間なんです。

 平成6年、漆塗りをさせて頂きました。
当時私はまだ大学生。ですが手伝いでお納めに随行したのを良く覚えています。



 例年は玉地さんで7日は最終なのですがこんかいは違いました。
この日11台目は加茂屋台です。




 作業終わりは22:30、
疲れていなくてもこれぐらいの時間以降は体温が上がって非常に磨きづらくなります。

 ご存知頂いているように漆は素手で磨くのですが、手は冷えてないといけないんです。日中、体に汗をかいていても、馴れで手は一定に保てるのですが、朝晩の生理的根本的な体温上昇はどうも対処がし難いです。


 さて、「いつも見とうで!」なんてお声も頂きました。よく言って頂くのですがこれが実は大変照れくさいもので・・。恥部をさらすようなことも一回や二回やおませんもの。
なら書かんでええやん、言われそうですがあるでしょ、テンションにまかせて夜中にラブレター書いたこと一度くらいは。あんな感じです。
消すのも違うなおもうんでほとんどそのままです。お時間あるとき古いページもご覧ください、あほやなって笑ってください。お目にかかったときは、でもそっとしといてくださいね。


 ここまで35台磨かせて頂きました。


   →その2(10/8・9・10・11・12)へ。



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