妻鹿屋台 その2・漆塗り編 11/11/5up   <TOPにもどる

 2010年(平成二十二年)、白浜七ヶ村のひとつ妻鹿屋台の漆塗箔(ぬりはく)のご依頼を賜り、1月23日、快晴のもとお預かりいたしました。

 その当日から9月25日にお納めするまでのご紹介をいたします。

 1,お預かり〜下地、 2,塗り〜完成、 3,完成〜祭り当日 と内容を三回に分けてご紹介いたします。
(このたびは変則で、その2からとします。)


   →その3(完成〜祭り当日)


(gallary2010に掲載している祭り当日、市川土手の妻鹿屋台)


 平成22年10月14日





 漆塗り(下塗り〜蝋色)



漆の下塗りまで進んだ各部材。
左から天井押さえ縁、
平桁下段、
上段、
高欄掛けにあたる部材、

受話器より右は曽根北之町の斗組肘木。



透き漆も下塗り完。
大きな妻鹿の井筒。
 

ムロは二台分の斗型や高欄部材で
いっぱいでした。

右画像→
下の弁柄漆一色が妻鹿の分。
金箔を押すものの下塗りは
発色が良かれと考え
弁柄漆を塗ります。

(8月25日撮影、日の無さに
今更ながらドキドキします)





金箔用のムロ。
当店では金箔も漆を用いての施工
なので高湿のムロが必要です。

正角と露盤彫刻の枝。

やはり北之町と同時進行でした。



高欄はその二台とも出高欄
(乗り子さんの背中のところが広い)
だったので部品点数が多く、
倉庫にあったラックを置台に
していました。



その頃の日記にも書いたはずですが
海外からお越しのお二人に
いろいろ説明して差し上げました。

細かく覚えていませんが
感嘆の言葉を言われていたように
おもいます。

(8月26日)




面の整い方からおもうに
おそらく中塗りの折とおもわれます。

言うまでもなく刷毛塗り。


当店では上塗りは日本産100%を、
この中塗りでは日本産50%の漆を塗っています。


塗師(ぬし)なら誰もが経験する災厄、
羽虫沈着。。



各塗りの締まらせる間に天地裏返し、
下端の下地研ぎを進めます。

ここも天然漆による下地、
堅地です。



油桐の炭で徐々に塗面を研ぎ下ろしていきます。



全面に至ってきました。
仕上がりに大きく左右するため
かなりの日数を割きます。



炭研ぎが終わり、
さらに細かいチシャと呼ぶ木の炭で
蝋色(ろいろ)研ぎ完。

するとすでに底光りしてきます。




浅い角度から透かすと
もう映り込んでいます。

(人工の砥石も併用しています。)

さあ蝋色。
漆を摺っては(薄く延ばしては)
かわかし
締まらせ、
角粉(つのこ)で磨き上げ、
を繰り返します。

素手。


屋根鏡が磨きあがるとまた下端。

画像は漆下塗り直前。

ここも
もちろん吹き付けなどせず
刷毛塗りです。



高欄部材も
無事上塗りから炭研ぎ
と進み、
蝋色工程です。

全ての部材の
角を保護するためにつけている
傍板(そばいた)と呼ぶ端材を
丁寧に外し、境目を整えます。

すべての漆塗り、箔押しが終わると
すぐ組み立てに入ります。





 完成


  昇り総才は腹(側面)、肩(上面)含め総蝋色です。  (木負い、垂木等の箔押しはまだしていません。)




 水切り、裏甲も総蝋色。




 組み上がった斗組・正角。 一号色金箔の上品で温かみのある色味。並ぶと壮観です。




 近くから。
 肘木・斗型のそれぞれ全ての前面が盛り上がっているのが分かります。堅地を何度も盛り上げて成形します。 

 よくツヤを上げることを心がけています。祭りはハレの日。




 本体に組んでいきます。 桁・隅垂木なども蝋色してからの金箔施工です。




 垂木に錺金具がつきさらに豪華になりました。




 井筒はケヤキ。木目を生かす透き漆塗り蝋色塗です。
 カシュ―など合成塗料は一切使用いたしません。




 自ら発光しているかのような眩しく輝く金箔。




 高欄も完成。
 背面にあたる部分も蝋色しています。また、座面は摩擦や摺動に対する堅牢さを増すため乾漆粉を蒔いています。





 お預かりから八か月。 ようやく格好をしました。
 夜が明けたらお納めです。


  平成22年9月25日3:29。


  つづきます。 →その3(完成〜祭り当日)






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