05年、灘のけんか祭り帯同記 その1
本宮11:45、楼門を出る直前の妻鹿屋台。青空。 奥に木場・八家屋台が見えます。


 私どもは毎年、灘祭りには妻鹿と東山の屋台に付かせていただいております。
仕事として日々屋台に携わっている私ですが、店の所在地(=住まい)は屋台のない地域で、住民として屋台に触れる機会なく育ってきました。そのこともあり、仕事としての二日間なのですが、裏方として祭りに「参加させていただいている」と感じる部分も多いにあり、光栄でとても嬉しくおもっております。

 今回は、裏方という立場からの「灘祭り」を時系列に沿ってご覧いただきたいとおもいます。
 39年ぶりに順延になった本宮、平成17年10月16日(日)の様子です。

 表記の時刻はデジタルカメラ内の時刻なのでおおよそだとおもってくださいませ。また私の思い違いで誤った内容がありましたらぜひご指摘ください。


 8:38
 妻鹿屋台蔵横、観音さんの縁側。

 9時練りだしを待っています職人衆。左から大工方・木下さんの二名、わが父、金具の川村さんの三名。
ちなみに帽子の後藤氏は毎年東山についていらっしゃいますが、ご存知のとおり今年は年番で本宮に屋台が出ないため妻鹿の出立ちを見に来られていました。

五年ほど前までは本宮終了後にこの場所で、大きな鍋でつくられる名物の味噌汁がふるまわれていました。日も暮れ肌寒くなり、ええ祭りやったなぁ、などと談笑しながらすする味噌汁は格別なものでした。
今となっては懐かしいです。

 8:51
 観音さん前。

 さあいよいよ時間が迫ってきました。総代松下さんよりご挨拶です。順延の甲斐あり、好天に恵まれ自ずと気分が高まってきます。

妻鹿の御蔵横(観音さん前)は砂場で、良い練り場のようになっています。胴付の衝撃もやわらぎます。
前日に屋根を磨きに各村をまわるのですが、屋台蔵に一番人が集まってらっしゃるのが妻鹿です。

この、御蔵・観音さん・砂場・昔ながらの細い路地の調和が自然と人を誘うのでしょうか。


 9:06
 御蔵を出発し東へ。

 出立ちに集まる人出も大変なものです。自分の村の出立ちをほっといて見に来られる方もいらっしゃるようです。

 写っているはしごは私どもが持つ役目です。竹に白いさらしが巻かれています。
七村で竹のはしごは妻鹿と松原だけだったとおもいます。アルミのはしごが多い中、重い露盤彫刻を上げ下げするのに頼りないように感じますが、逆に竹は適当にしなって反動がつき、私自身は上りやすくおもいます。

 

 9:19
 広畠前通過。

 広畠練り場正面で一旦とまり、ヤーサ(たいこのみ)です。
この時点ですでに国道とは思えない様相ですね。


 9:56、白浜支所前。 川村さんが金具を点検します。
わたしは屋根の埃を掃いに上がり、のち狭間と幣額の取り付けに緩みがないか確認します。狭間・幣額は胴付の強烈な衝撃に耐えられるように特殊な細工をした針金で固定しています。普通の針金ではすぐに切れてしまいます。狭間にいたってはメインの針金以外にさらに二重の策で万が一に備えています。
大工さんはここで脇棒を広げます。いよいよ宮入です。

 10:45 境内の八家屋台(別カメラ)  大きな紋です。

11:30。
拝殿東側で屋根に上がるわたし。
ハシゴは無しです。

新調松原屋台が接近します。

つづく

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