平成二〇年・村廻り記3(10/9・10)

例年秋祭りが近づいてきますと盆明けぐらいから各村の方より、屋台の漆磨きの依頼を頂戴します。
ことし平成20年度は延べ85の屋台蔵にお伺いしました。
当初その模様を日記でお伝えしようとしましたがかなりのボリュームになりそうなので、派生して記事としました。
二日ごとに分けてご紹介します。

日記ページ「裏砂川仏檀店」はこちらです。


10月9日(木)、晴れ

秋祭りが週末に集約されていく昨今、それでも頑なに日にちを決めて執り行われる祭りもやはりまだまだあります。
そのひとつ、高砂神社。私どもの屋台漆磨きも、だから毎年10月9日の朝は高砂、と決まっています。
その、さらに朝一番7時前に参るのが下の画像の屋台蔵、

中部連合です。屋根磨きを終え幣額(鏡)を磨くわたし、7:44。


いくつかの町が集まってできた屋台と聞いています。蔵の中の壁にそれを示す画が掛けられているのですが撮らせていただくのを忘れていました。中部の法被の練り子背中姿の周りに各町の名が書かれている画です。

屋根は縦横の比率でいうと知っている屋台の中で一番’深い’屋根で、軒先に立って磨くおり紋の下三分の一以下の部分の屋根鏡に指先が届かないほどです。その部分はあとで下から手を伸ばして磨きます。
たしか昨年(?)から電飾がご覧の様相のLEDにされ裏甲前に真一文字にあるバーはその上に素子が並び水切り金具を照らします。
この形になって磨きに関しては少々手が届かせにくくなりましたが、夜実際電気が入るとおもったとおりの照らし具合になったそうです。いろんな業種の方がいらっしゃるとのことですべて町内の方の手で造られたと聞きました。

狭間彫刻は古く、明治の糸井の屋台に付いていたもののようです。


中部といえば照る照る坊主、
以前昨年の写真を日記でも紹介させてもらいました。

なぜかことしはメガネをかけていました。


これも祭りのワンシーン、
そしてことしも晴れました。



つづいて東宮町です。

屋台蔵前、7:55。

神社南に位置するこちら、
幅のある立派な屋台蔵です。
まわりも広々としています。




中部と同じく大工宮本さんによる屋台、
こちらも棟が深いです。
昭和63年に漆塗り。

3年ほど前から磨きに来させていただいています。



屋根左右の面の巴紋、
特徴的な丸みを持っています。
それは半球といえるほどで、すっきりといい形やなぁといつも磨き作業が終わってからついしばらく眺めてしまいます。

磨き終了、8:54。


珍しい総反り水切りのこちらは鍵町屋台。

総反り(そうぞり)とは水切り中央部分に直線部分がない様式で横から透かしてみると全体が曲線でやんわりと上品な印象に感じます。
上は磨き前、曇っています、9:04。


磨き終了。


狭間彫刻は長谷川義秀の銘が見えます。 垂木は三段です。




新しいものと伝わったものが織り交ざって見事な表情を見せています。


長く白木で練られていたそうで、昭和53年に漆塗りさせていただきました。
現行屋台では浜の宮須加屋台に並ぶ古参です。





水切りの曲線、いかがでしょうか。わたしはとてもきれいとおもいます。

また額には「鍵」の意匠が見えます。


歩み板を渡して下さっていて毎年とても楽な姿勢で磨かせてもらっています。ありがとうございます。

作業終了、9:56。




鍵町で高砂を後にし、わたしは別件で離脱、岸本は飾磨恵美酒宮本宮に急ぎます。

恵美酒本宮、岸本画像。

11:33、都倉屋台、台場練り。
ちなみに彼のカメラはペンタックス、わたしのリコーと明らかに色味が違います。
こちらは鮮やか、リコーはまさに自然の色調ですがともすると味気ない写真になってしまいます。


14:37、神事。
東掘の方々によって神輿が巡行します。平成15年漆塗り。

18:00、再び蔵廻りにもどりました。
飯田屋台作業中。

紋は付いていても磨きは出来ますが、外してあるとより境目無く磨けます。
昨年塗らせていただいた屋台、棟梁は上内(かみうち)さんです。

公民館併設のとても広い蔵です。



こちらはこの日5軒目、下野田屋台です。
昨年屋台蔵を造られたそうで、とても明るく当方手持ちの補助照明が全く必要ありません。

三年前から行かせてもらっています。
作業終了、18:59。
うまく磨けたのか、明るい表情の岸本。











駅南地区がつづきます。
つぎに伺ったのが東延末屋台、
平成11年漆塗りさせていただきました。

青い勾欄掛けが明るい印象です。


そして、この日漆磨きでは最終の八代東光寺町、
この3日ほど前に急遽ご依頼を頂き磨かせていただきました。

はじめて伺う蔵で、日も暮れていたこともあり少し道に迷ってしまいました。


屋台を新調された村からこのたびご購入されたとのことで、みなさまとても喜んでいらっしゃいました。

今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。




そのあと補修でもう一軒参りました。10月5日に磨きで伺った曾坂です。

丸桁(がぎょう)正面の金箔が擦れて剥げていたのですが、当日は用意が無いので日を改めてこの日行かせていただきました。
5日の分の記事にもしっかり剥げているところが映っています。 上、補修前。


こちらが補修後、わからなくなりました。

当店では金箔押し(金箔施工)も漆を薄く展ばしその接着性をもって行います。その場合職場併設のムロでの’干し’が必須です。
今回のような現場での応急補修の場合、漆での金箔押しだと漆が乾かない(硬化しない)ため
説明の上、箔押し材料をつかいます。


10月10日(金)、またまた晴れ

10月祭り月、磨きであさが早いといえば大塩・白浜宵宮前日の13日が毎年恒例ですがその日よりも早い5時半起きで向かったのは生野。
昨年よりお声を掛けていただくようになりました。


6:23、播但道を一気に北上、まもなく生野出口。

 
着いたのは口銀谷(くちかなや)。かつての生野銀山に向かう入り口に位置します。
昨年は町入り口で待ち合わせて案内していただきましたが二度目の今回は大丈夫です、直接蔵まで。
生野二区です。

日はもう上がっているものの山の向こう、朝霞にまだ隠れていました。
深山幽谷、播磨とはまた違う風土を感じます。 左は公民館、右画像のテント奥が蔵です。

村廻り記2で書いたとおり、漆磨きを少し詳しくご紹介します。
ご自分で磨かれる村の方は参考にしていただければ幸いです。

まずは元の状態、白く曇っています。 上半分は磨き完了しています。
下に見えるケースは油壷、綿に椿油を染ませています。


埃・塵を払ったあと椿油を手(指)に取り、汚れを起こしてくる感じで力を込め広げます。上っ面だけ広げるだけではきれいに底光りしません。
とはいえ付け過ぎてもあとでぬぐうのに手間がかかるだけなので漆の肌の状態や汚れの程度を見て適宜調整します。
下半分のもやもやが広げた油です。


漆の肌、「底」まで届いた感覚で油を広げられたら胡粉(牡蠣の殻の粉末)をまぶします。
わたしは二重の布に粉を入れ紐で括り、包みにしてそれを直接屋根鏡にたたいて出します。こうすると量の調節がしやすく付けたいところに適量付けられます。
このときも胡粉の付けすぎに注意、過度の量は漆面が白んでしまいます。

左手にはめた軍手の甲で汚れをぬぐいながら何度も何度も磨きこみます。
よく汚れている・傷んでいるところは意図的に汗を出し水分で指のかかり、抵抗を強め、
一方、さいごの油の’カタ’を取り払うときは指先を乾燥させそっと円を描きながら塗り肌からすぅっと’離陸’させます。

油が多いところはすこし胡粉を増やす、あるいは回数を増します。

磨きあがり。
実際にされてみてうまくいかないときや、もうちょっときれいにしたいというときはお気軽にご連絡ください。
とても傷んだ漆でも三回ほど伺うと見違えるようにきれいになります。


三階松の紋、生野二区屋台全景です。8:55。

二代前の宇佐崎屋台とお聞きしました。
ここから先はうちの父の記憶です、間違っていたらご指摘ください。
このさらに一代前の屋台を石田棟梁が造られ、それと同じようにできたのがこの屋台で、
どのタイミングでかははっきりしませんが狭間彫刻は先代東山のものです。

広い蔵のなかには子供屋台も並んで見えます。


すっきりとした印象の屋根の形です。


つづいて生野三区屋台です。

こんかいが初めての訪問です。

旧高砂戎町屋台だそうです。
菊水の紋、
桝組みの桝は黒檀でしょうか。
10:12。


この蔵の傍には橋があります。
何の橋かといいますと、下画像、


姫宮神社にかかる橋です。風光明媚とはこのこと。 すばらしい秋空もあいまって俄然清清しい気分になります。 10:15。

生野の秋祭りでメインは生野小学校での練りだそうですが、一区・二区・三区・四区・奥銀谷がこちらの宮の氏子で、例年は本宮の日に順次この橋の袂にお参りになるそうです。
ことしはじめて同時に集まられたとのこと、壮観だったろうと想像が膨らみます。


かなり年代を感じさせる橋、

橋から見下ろすと渓流が流れています。 上流側。

こちらは反対側、
かつてフランス人技師の設計により造られたアーチ。下の岩の形に合わせてすべて形が違うそうです。



本殿はこの方向の茂みの向こう、時間の関係で拝見できませんでした。この位置からでもとてもすばらしい雰囲気を感じました。
かつては橋を渡り宮まで行かれたそうです。


このあと昭和60年に漆塗りをさせていただいた南真弓へ、わたしはもちろん足を運んだことが無く、久々の訪問となった父も詳しい所在地が分からず少々迷い道。
地元の方に親切に教えていただいたりしながらようやく到着しました。11時頃だったとおもいます。
滞りなく磨きを終えましたが作業後の話に花が咲き写真を撮り忘れました、残念です。


生野での作業を終え再び播但道を南下、この日4軒目は正八幡・宮脇屋台蔵です。



14:35、漆磨き終了。



平成11年に大修理、
昇り総才を外し旧塗り・下地を野地板ごと取り払って板新調、
総才自体も4本とも中で折れていることがそのときになって分かり新調し、そのままお預かりして漆塗りをさせていただきました。


四本柱は通例透き漆を塗り欅の木目を愛でるのですが、あまりの傷にベンガラ漆塗りとしました。
傷を補修し透き漆を塗るとそこが黒く痕となって見えてしまうからです。
ですが井筒と違和感無く仕上げられました。



きれいな木目の黒檀無垢の勾欄です。 金具の模様も整然と並んでいます。


先日、彫刻に詳しいある方と話しているときに聞いたことですが、
この場面、現行露盤彫刻では宮脇が唯一だそうです。
場面の名前はごめんなさい、忘れました。

古い天満の露盤には見られ、それは実際わたしも拝見したことがあります。





こちらはこの秋宮脇に嫁入りした旧々妻鹿屋台泥台。
稽古台として大事にされることになりました。

さすが妻鹿、金具の痕が生々しいです。



つづいてすこし北上し、福崎井ノ口です。
屋台蔵は福崎町を見渡せる山の中腹、竹林を上がったところにあります。その奥には地元のお宮、えべっさんがあります。

大きくはありませんが凝縮感のある屋台で、狭間彫刻にも年代物が入っています。 少し大きめの巴紋も目を引きます。

井ノ口初代は明治26年に造られた反り型の布団屋根で、多可町糀屋稲荷神社森本に現存するそうです。
現行屋台は平成元年に造られた4代目、
ご覧のとおり金具は大きめですが昭和61年まで練られた旧屋台(三代目)の金具をそのまま付けられたそうです。おなじく本棒も旧屋台のもの。



普段仕事中は真剣な顔をしていますがこの画像作業終了後のひと時、にやけています。というのも一緒に映っていますのは公私共にお世話になっている尾藤氏、ほっと一息緊張がほぐれてしまいました。
井ノ口の名物、元気者(ゲンキモン)です。彼もにやけていますね。

尾藤さんをはじめ井ノ口のみなさま、いつも良くして下さってありがとうございます。



この日は移動時間も考慮して6軒と余裕を持って予定を組み、実際に廻りました。
その最終は溝口屋台です。

春にご一報いただきまして、曇っている屋根が光るかどうかまず見て欲しいとのことでした。
お伺いし、試しに10センチ四方ほど触らせていただきツヤがもどるのを確認、そして秋、祭り前となり全面磨きの運びとなりました。

作業前、手洗いを借りに蔵の裏にまわったところとんでもないものを見てしまいました。というとすこし大げさですが実際びっくりしました。
こちら、みなさんはご存知でしょうか、わたしははじめて拝見しました。

山車の前方後方に神輿屋根が付いています。村の方は「だんじり」と呼ばれています。
聞けば平成16年、町制50周年のおり乗せたものだそうで、もともとの所在は村の方でもわからないそうです。
この棟の前にも村の方が飾り付けられた旧い神輿屋根が乗っていて、下部、だんじり本体は村の方の製作とのことでした。

ほんとびっくりしました。
こういう形態のものはどこかほかでもあるのでしょうか? ご存知の方どうぞ教えてください。

動揺したわけではないですが肝心の屋台をまた撮り忘れてしまいました。どうもさいきんいけません。
尾内氏をはじめお世話になりました、ありがとうございました。


ここまで10月5日から6日間でおおよそ半分の39軒をお伺いしました。
まだあと半分以上、その村廻り記4はしばらく先の掲載になります。



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