私信

令和元年、祭りのあと

 

『姫路では魚吹(うすき)八幡神社の本宮が22日に執り行われ、大方の祭りが終わりました。

前にも書きましたが、ことしは例年以上の数の祭り屋台をお預かりし、昨年秋からすでに休み無し、年が明けてからは夜なべ夜なべで、夏以降は何回徹夜したか分かりません。』

 

 

↑と書き出した去年の今頃の日記。

その大変だった経験を以って迎えた今年度でしたが、あいもかわらず走り回った一年でした。言うまでもなくそれはとても有り難いことであり、ご依頼を頂き手を動かしお納めさせて頂くことへの感謝の気持ちを忘れたことはありません。言いたいのは、自分はどんくさいんやないかということ。

 

要領が悪い。

あかんコの常套句ですが、さいきんそんな気がしてきました。

ではどうしたらいいか。

 

 

答えは無いんですね。その時その時では、最善は尽くしているんです。 ’ヘタ’ なのも含めて、それは、というより、それがその時の最善。

 

自虐するということではなく、
冷静に自分を見つめ直し、すべてを認め、これからも一所懸命向き合っていくしかない。

 

改めて言うほどのことではない、ほんの当たり前のことをもう一度確認できた令和元年でした。

あ、いいこともありました。「頭の中のおしゃべり」が少なくなってきたということ。

 

 

試合中の選手が得点表を見ないように。ボールに集中しているように。

これからも愚直に、目の前のことをコツコツと積み上げてまいります。