「自分」は今までの経験で出来ている。
正義は人の数だけある、という。正義は経験によって培われ、その経験(入力と出力の繰り返し)は千差万別だからだ。
2500年前、釈迦は、この世は縁起である、と言った。
「この世のあらゆる物事には必ず原因と結果がある」「物事がそれだけで存在することは無い」ということ。
諸法無我(諸法非我)、「私という実体は無い」(「実体は私に非ず」)という言葉もある。
ある人は、人生には意味がないという。
ある人は、人生には意味がある、という。
前者は現象を現象と見る、後者はその現象にストーリーを見る、ということか。
冒頭の話に戻ると、見る自分(我)が小さくなるほど現象をシンプルに現象として捉えるようになり、苦が減るのかもしれないと思える。
一方で、人生にストーリーを見ずして何たるか、とも思う。
自分とは何か。この世とは何か。人生とは。
ある事案が身近であり、そんなことを今まで以上に考えてしまう昨今です。
結局はどこにも行き着けない凡人が出来ることは、目の前の人、目の前のことに一所懸命になること以外ありません。
丁寧に、出来るだけ丁寧に、生きていきたいです。