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姫路城菱の門修復 5

 

[⇒その4]

[承前]

令和4年(2022)5月5日こどもの日。今回金メッキをし直した錺(かざり)金具が完成し、ご寄付下さった有志の方々にお声掛けし、ご覧頂きました。

普段仏壇や祭り屋台などで度々メッキ新調に触れる機会はありますが、この姫路城菱の門金具は文化財であり、屋外日晒し雨晒しという過酷な環境であることを考慮し、少し特別な金メッキを施しました。見るからにしっかりしていて、艶消しで上品な仕上がりになりました。

ちなみに修復前。

 

 

5月6日、打ち付け開始。黒漆の上に来ると余計引き立ちます。

シンプルであり素晴らしい金具です。文様の間を埋めるツブツブを魚々子(ナナコ)と言いますが、一般的にはいくつかツブが並んだ鏨(たがね)があり、それで施されることが多いのですがそこはさすが姫路城。一粒一粒の鏨でひとつひとつ彫られているようです。よく言いますが、良いものは見飽きません。ずっと見てられる、というより、見ていたくなります。

姫路市亀山におられた錺金具の名工 木村哲也さんに平成の修理の折、逸失した何枚かを新調で造って頂きました。そのとき師は「長いことこの仕事しとうけどエエモン見せられたらイヤになるわ。これくらいでこらえて」とおっしゃいました。私らには十分に遜色のない仕上がりでしたが、ご本人には思うところがあられたようです。

シンプルなものほど難しい。手の差が出る。は、どの世界も共通かもしれません。

[参考:播州錺金具師系譜図]

 

 

ひとつおもしろい発見が。

金具の位置を決めるのに物差しを当ててみると、前からある赤い●印が狙う場所にぴったり。あまりに合うので、どうやら前回の修復時(平成3年)に父が入れたものかもと思いました。道具も時を超えますね。

 

 

打ち付け完了。

 

 

5月16日、現場撤収開始。2ヵ月ともに過ごした移動式足場。よく役に立ってくれました。

この各格子窓の下の棒について少し解説しますと、内側はこうなっています。

吹き込んだ雨水を外に逃がすようになっています。おそらく創建当時のままだと思われます。

 

車両の乗り込みを許可されて、中々撮れない風景を記念に一枚。

 

 

6月10日、足場解体。離れた所から見てみたく訪問。格子窓の裏板、漆喰の板はまだ付けられていません。

 

解体前に大屋根を見学させて頂いた折りの様子。全ての瓦を漆喰で留められています。すごい。
盛り上げて形を整えるのが簡単ではなく熟練が必要だと、漆喰の職人さんがおっしゃっていました。

 

 

令和5年(2023)2月17日。菱の門の内部が特別に公開される催しがあり、また伺いました。

二階への入り口は門西側南面のココなんです。普通は気づきません。このためだけに階段が設置されました。

内部の様子。漆塗り作業中は、葵の紋が入った徳川時代の本物と思われる長持ちなどが所狭しと並んでいましたが全て片付けられていました。

[参考:長持ち]

 

内側から望む。

桃山時代の空気が戻ってきたかのようです。

 

つい先月、5月23日。修復から丸二年経つので様子を見に行ってきました。
よく聞くことではありますが、外国人の方の多さに驚きました。体感では8割以上。
想像を超えてました。

 

二年間太陽を全身に浴びています。やはりツヤは引けていました。

 

北側。

日光が直射しないので幾分マシです。あとは何年もってくれるかです。

そこはシンプルに漆の塗膜の厚み勝負でして、工事期間が許す限り塗りを重ねようとしましたが、結局色んな兼ね合いで時間が許さず、それでも通常の下塗り・中塗り・上塗りの三回のところを、上塗りはなんとか二回(漆塗り計四回)出来ています。

どうか一日でも長く、と祈ります。

 

帰り道、市の橋で振り返る。

姫路城は姫路の中心に鎮座する正にランドマーク。日本で言う富士山です。

播州平野の中心、北に廣峯山系が守り南は瀬戸内の穏やかな海、船場側と市川が傍を流れ、周囲を緑で囲まれた姫路城はいつまでも姫路市民の拠り所です。

当たり前すぎて忘れがちな価値。日々生きる中にもそういうものは沢山あります。多様性や個の権利などが喧伝される世の中ですが、果たして変革がのみ正義で、優先されるものなのでしょうか。連綿と続いてきたことの意味合い、貴重さを軽んじる風潮に憂いています。普遍性とは数多の淘汰の結果です。

歴史的な建造物に職人の端くれとして携わらせて頂き、守っていくことの大切さを改めて感じた経験となりました。そしてとても光栄でした。これからもこつこつ、精進いたします。