漆塗り 一般

姫路城菱の門修復 2

 

[⇒その1]

[承前]

外した金具を持ち帰りました。令和4年2月8日火曜日。

この金具は平成3年度に今回と同様、格子窓/火灯窓の漆塗り修復時に父親が金箔押し[焼き付け]したものです。30年間直射日光・風雨に晒された結果です。

見ようでこの程度ならまだもっている方とも言えますが、正直くすんでしまっていました。金箔が完全に剝がれ、地金の銅が緑青を噴いている箇所も散見しました。

 

裏返すと、何枚かの金具には鏨で刻印があります。

『昭和修理二十六年度補足』とあります。その通り、昭和26年の修理の折に逸失が何枚かあったようでその分を新調されたということです。裏面に端に少し見えるオモテから回り込んだ金色に、金箔施工であったことを見て取れます。

初日はここまで。左官屋さんの漆喰修復の関係で次の作業は約一か月後。

 

果たして二回目の訪問は3月2日でした。まずは養生等準備作業から始めました。

さて「1」でも触れたとおり、今回の修復工事は左官屋優先の足場。少なくとも2カ月は掛かる算用の工期の間、瓦の上で無理な姿勢で作業は出来ません。きっと瓦の傷みにも繋がります。ということで持ち運び式の足場作りから始めました。

3月3日。必要と思われる強度を適当に想定し、見合った角材をホームセンターで調達。職場である程度組んでおきます。

足の長さは重要なので現地で切り合わせ。

こんな感じです。右側に水差しを置くスペースを設定しているのがミソです。研ぎには水差しが必須、塗り工程なら漆の器置きにします。二ヵ月間の相棒完成。
水平の有難みを初(?)認識。めちゃめちゃ快適です(苦笑

格子窓一枠を一回で快適に作業をするにはもう一段階左右の巾がある方が良かったのですが、持ち運びのことを考慮するとこのサイズに落ち着きました。うまくいったと思います。瓦との接点・接線にはスポンジを貼っています。

レベルもばっちり。iphoneの機能にびっくり。

 

ようやく漆塗り主体作業が始まります。
境界線を丁寧に養生してから生漆(きうるし)の含浸。いわゆる木固めです。たっぷりと吸い込ませます。

 

並行して釘穴に楊枝を刺していきます。これも生漆を接着剤代わりにしました。

3月5日、漆を登場させた初日。うまくかわいてくれますように、と祈りました。

 

さて前述の平成3年度の修復ですが、当時の資料を引っ張り出してきました。
このときは漆塗り用の足場を設営下さっていました。そんなことより傷みの深刻さが際立っています。ご覧の通り、殆ど木の地肌になっていました。金具も金の傷みを通り越して真っ黒です。

 

これは塗り上がり後の錺金具打ち付けの様子。左は当時大学生の私、右はいまも一緒に働いている叔父です。
なんの囲いもない足場でそのまま作業をしています。大らかな時代です。足場も瓦の上に土嚢を等間隔に置き、その上に敷いてあるだけです。

 

こちらは更に古い工事、昭和60年の小天守火灯窓の漆塗り修復です。足場や囲いは現在の単管でなく木の棒です。

当時小学生でした。一度だけここまで連れて行ってもらって、その高さに驚いた記憶が微かにあります。父として誇らしかったのでしょう。

 

つづく。

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