今年の桜は少し早いようです。桜の花びらがちらちらと舞う中、愚息が新生活のため家を離れました。
空いた部屋、広くなったクローゼットや靴箱にもうしばらくの間少しの寂しさを感じると思います。
振り返れば、一番愛らしい年頃に家に殆ど居られず、本人はでも、最初からそうだったので意に介さず日々過ごしていたと思いますし、私も当時は改めてそのことに思いを抱えることなく毎日を送っていました。
寝床に置いてる写真は息子のあどけない初節句。
よく言うことを言ってしまうことになってしまった自分を、少し後悔しています。
もう少し向き合っていたらよかった。
こうしてたらああしてたらという「もう一つの世界線」はないとは分かっているものの、人生とはこうやって思索することなのでしょう。
そうやって別れというものを捉えていきますと、、
あの頃の誰それ、というものは総じて皆いなくなってるわけです。鏡に映る自分でさえ。
一期一会という言葉の本当の意味はこういうことなのかと、ちょっと気づいた気になってる令和五年の春です。
どの一瞬も最初で最後。息子の門出が教えてくれました。