つれづれるままに

日記の部屋 (〜2/16)
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2009年2月16日(月)
左見右見二日目
画像なし、散文ご容赦ねがいます。きょうは自分の備忘録も兼ねて。


その人は、職人でした。というより客はみんな漆器にかかわる職人、夕餉によばれたところはそんなお店でした。

重蔵神社からすこし西、、
連れられていったのと路地の暗さでそれ以上わかりません。
一昨年の能登の地震でも奇跡的に壊れなかったという古い建物、電器も点いていない看板が一応かかっています。けれど中から灯りが漏れる窓もなく扉も普通の家のそれ。
いちげんではぜったいに入れない店、いえ、外からはやっているかどうかさえわからない。

豆まきには奥さんとそのお宅のお子さんとわたしだけで行っていて、塗師のご主人と若い衆は先にその店に入られています。すこしドキドキ、どんなところだろうと奥さんに導かれてほぼ闇のなか’黒い板’のような扉を開けました。


右手にカウンター、止まり木が5つほど。左手に座敷と机、机を挟んで座るにはぎりぎりの幅しかありません。飾りっけは皆無。

メニューは、ない。飲んでいて店の奥さんが自然に順番になにか出してくださる。

職人たちの店、その日の仕事を終えた職人さんが家に帰るまえに毎日(!)決まった時間に決まった席に座り一杯(もちろん一杯ではない)ひっかけるそんな店でした。つまりこの席はこの時間あの人、と決まっているくらい。
その点でもまず一般客は入れません。


その方は挽き物の職人でした、御歳72、そのみち60年近い超熟練で現役。簡単な挨拶のあと、机の上の酒はどんどんどんどんおもしろいように減っていきます。
工房の若いみなさんと漆とはなんちゃ、漆を塗るとはなんちゃ、と話しがまさに弾みました。

すこし落ち着けば、塗師のご主人がカウンターのほうに目をやって、
あの人は上塗りの達人、その向うは下地のベテランとおしえてくれます。

飲んで飲んで、しゃべって、意気が合って、再会を誓って、又飲んで飲んで、、
店を出たときには夜の闇はなお深くなっていました。
心触れられたような夜、心洗われたような夜。



二日目、昼近くになって泊めていただいた塗師のご主人がすこし輪島を案内してくださった。行き先はきのうの挽き物職人のお宅兼作業場。

挽き物とは轆轤を回して器の木地を造ること。
その作業場もまた奇跡的に震災に耐えたとのことで、それを聞けばまた建物や蔵を前に、強さ、うまくいえませんが厚みみたいなものが感じられました。

その方の挽かれた木地を見せていただきました。
とてもとても薄く、すわ、おどろくほど軽い。
促されるまま照明に透かしてみる。なんと光が透けているではないか。欅(ケヤキ)で、です。
これ以上いくと穴が開く、その一点の見極めはやはり勘なんだとか。


輪島の木地はずいぶん前から、ふつう「経て木(たてぎ)」といって木の立っている向きを器の垂直方向に使う取り方がすべてになっていたらしい。それは強度の面と生産性の面がおもな理由。
ご自宅に木目が見える椀などあればご覧になってください、まず経て木のはずです。

かつて、明治時代のものとおっしゃってましたが、そのころの横木(よこぎ)、つまり木の立っている向きを器の水平方向にとるための部材がその木地師の作業場、蔵には文字通り山のように残っていました。
塗師のご主人はすでに決まりごとのようになっていた経て木ではなく、その挽き物職人との出会いもあって横木にこだわっていらっしゃいます。
横木でないと為しえない’形’があるんだそうです。

炊きもんにでもなっていておかしくない、一旦は価値の全くなくなったその横木の部材。ホコリをかぶって百年。
木地師の方のところで、新しい塗師との遭遇を待っていたかのような、というとすこし感傷に過ぎますか。でもめぐり合わせってぜったいあるとおもいます。
そこにひとは必然を感じる。


また、かつて塗師が木地師に発注する折、
口が何寸、高さ何寸を百個、とか、そんな注文だったそうな。
それをその塗師の方はここをこう立ち上がって、最後にもう一回外に曲がって、おわりはここまで薄く、、と「形」を指定した。
意外なことにこれは画期的なことだったそうです。

云々・・・


この木地師の作業場でも、朝塗師のお宅でも工房でも輪島への車中でも、ほかにもいっぱい勉強させていただきました、すべては書ききれません。
あとひとつだけ、「档(あて)の木」の話し。

档はアスナロといって明日はヒノキのなろうという名前からして檜に似ていますがヒバ科の木だそうです。

輪島周辺の山に目をやりますと、杉の下に档が植えられているのがわかります。この時期、花粉を抱えた杉は茶褐色系、そのすぐ下には良く似た、でも緑の木がどの山を見てもたしかに確認できます。
档は日陰で育つそうです。それで杉の木の下に植えられ好条件のなかすくすく育つ。

杉より腐りにくいんだそう。初日の日記にも載せた家の外板に使われているのもそのせいなんですね。


地産地消、いま巷で良くきく言葉、見直されているあり方。
交通の便の極端に悪かったであろうかつての輪島、
漆器の材料は木地になるこの档の木も下地に用いる良質の珪藻土もすべてこの地で揃った。
そう地産地消で器が生まれる。
そして行商、人の足でもって全国に旅立っていった。
商売の原点にも触れた二日目。



写真は一枚も撮っていません。職人どうしの暗黙のルールといいましょうか、なんとなくそうなんです。
それでこの日の一枚目、

彫刻の町井波に向かう車中より、能登島大橋から望む和倉温泉加賀屋遠景、2月4日13:51。

井波、到着は16時近く。
あの大木光師を訪ねました。この日三人目の稀代の職人。

つづく


2009年2月15日(日)
用具も天然モノ
じっくりと進めています別注のお仏檀の塗箔(ぬりはく)作業、現在は漆の下塗りが終わり、その次の工程である炭研ぎまで至りました。

下地、当店では堅地という漆の下地を用いますがその研ぎ下ろしには番手を数種用意した砥石で行います。
漆塗りも、一回ではなく塗り重ねますのでそのたびにやはり研ぎが必要になってきます。
そこでは「炭」をつかっています。


正味、木炭です。
これは粗研ぎ用の駿河炭といわれるもので材は油桐、
’しずおか’とよんだりしています。


こちらは目の細かいほう。
最終の研ぎのあと角粉を手に付け漆面を磨き上げることを蝋色(ろいろ)といいますがそのための炭です。だから蝋色炭ともいいます。
材は萵苣(ちしゃ)。
レタスを萵苣ともいいますがこれは’萵苣の木’のほうでエゴノキともいうようです。
この説明は実はあらためて調べたもので、まちがっているかもしれません。というのはたんに’チシャ’と呼んでただけでじつは詳しく分かっていませんでした。意外とそういうところはあるんです。お恥ずかしい。


そんなことで、研ぎ材料にも天然のものにこだわっているということです。
現在では人工のものや耐水ペーパーの類いもあり、われわれも使うこともありますがそれは上記「炭」を用いた上での補完的な使用です。
少しの仕上がりの差を感じるので、まだメインには置き換えられていません。まだ「代替品」とおもっています。

チシャを用いた蝋色は細心の注意を払わなければ「炭足(すみあし)」といって、仕上がり面に炭の通ったキズが入ります。ですが熟練の技術を持ってそれを避ければとても上等なツヤを得られます。
他方、人工のものは余程ぞんざいでない限り炭足の心配はない反面、とびきりのツヤ・肌には一歩及ばずといった感があります。

ハイリスクハイリターンというと少し意味が外れますが、
針穴を通すようなことの結果が簡便な手立てより良い、というのは手作業の物造りにおいては至極真っ当なことではあります。
だからこその’腕’の研鑽です。


さてこの炭、かつて大きく値上がりした時期があったらしく、その前に大量に仕入れています。
このダンボールがその一部です。するが炭特級品、の字が見えますでしょうか。わたしがやり終える頃まではいいもので仕事ができそうです。
かなり高価でたとえばバーベキュー用の木炭と較べたら、いまなら百倍くらいするかもしれません。



脇板(わきいた:側面の板)と段周りの部材。
こちらも炭研ぎまで終わっています。


一方、炭研ぎ前の戸(扉)、こちらは漆下塗りがかわいた状態、まだ研いでいません。
ベンガラ漆で下塗りした障子の框(かまち)もみえます。


ケゴミと余間の彫刻は完成後も取り外しができます。そのためぐるり全周漆塗りです。
画像は周りの黒漆の下塗り、彫刻部分はこのあと漆を塗り始めます。
手前の板は前卓の天板(筆返し)です、おなじく漆下塗り・炭研ぎ完了。

まだまだ作業はつづきます。


2009年2月13日(金)
左見右見初日

先週の見学の旅、本来の計画を例のインフルエンザ感染で一週間ずらしてのことでした。その趣旨の泊まりでの遠出はもう10年ぶりぐらいです。
ざっとご紹介します。一日目は輪島まで行きました。


さいきんは高速道路は深夜割引なるものがあるんですね。0時から4時までにゲートを通過すれば最大50%オフなんだとか。
これを使わない手は無いと3時に起きようと前日に決める、しかしやっぱり起きれず3:20過ぎになんとか床を出、40分ごろに駐車場にむかう。
半ばあきらめつつ、’信号の奇跡’を願いながら山陽道姫路東インターへ急ぐ、結果、、3:58。
いい出発となりました。


山陽道・中国道・名神・北陸道とつなぎ、石川県の尼御前SAまでノンストップ。すこし休憩後午前8時過ぎには上画像、金沢東に着きました。
そして件の料金は、4000円(!)と少し、通常は8050円なのでこれはかなりの得です。深夜割引、おすすめです。


さてそこからが実は遠く、能登半島は先までかなりあります。下道をつなぎ実際3時間かかりました。

途中すこし観光要素も入れました、といっても道路、

能登半島付け根から真ん中あたりまでなぎさハイウェイといってクルマが砂浜(!)を走れます。無料。
硬く締まった砂なので可能とのことですが注意が必要なのは海、
つまり「塩」で、わたしも過去走った折、後日マフラーが錆びて脱落した経験があります。修理代5万円。

みんなそれを知ってかほとんど走っていず、すれ違ったクルマは一台のみ。
ごみもやたら散乱してるしあまりいい感じではなかったです。けれど、やはり違和感というか砂浜を走るという非日常はかなりの体験です。
ただ行かれる方はあとでホースで真水をかけることをお勧めします。

こんかいは控えめに今浜から千里浜までの約5キロのみ走りました。前来たときのことが思い出されてしばし郷愁。あのときはなんか馬も走ってたな、とか。

ちなみにさいきん弟子通信ご無沙汰の岸本のクルマを借りて行っていたのですが、塩分はこの日は雨が降っていたので一般道での走行で洗い流されたとおもいます、多分。マフラー落ちたらゴメンね。


西岸の国道沿いの集落に時々足を止めながら、輪島に到着、10時半ごろでした。

まず漆芸美術館にて最新の漆工芸を見る。
けっして大きいものではありませんが、それでもそこに膨大な時間が費やされたもののもつ秘められたエネルギーの類いを感じて圧倒されました。
どうやってしたんかな、とか考えながら見ているとかなり疲れました。

フラフラになりながらそしてすこし食傷気味の身で輪島中心部へ向かいました。



輪島の鎮守(ちんじゅ)重蔵神社。漆塗りの神様ともとれます。
二礼二拍手一礼。
なかで何十人もの袴姿が垣間見えました。どなたか弟子をされていた方の年季明け式とかでしょうか。


町並みはやはり趣がありました。しかもそれが地方独特のそれで、
根付いている、伝わっている様相はその文化の一部を見せてくれます。


こちらは路地、

強風と風雪に耐えるためか、庇(ひさし)の下まで板張りがされています。この木が、あとからわかったのですが輪島の漆器造りになくてはならない「档(あて)」の木でした。次回にすこしふれます。

昼の腹拵えのあと、町を歩き数軒輪島塗りのお店を見せていただきました。 いろんなことを感じました。


この日は知り合いの塗師のお宅に泊めていただくことになっていました。予定の時刻に少しあったので日本の原風景のひとつを求めて国道249号を10キロほど西に。
こんな景色が待っていました。

白米の千枚田
その最小のものは0.2平米といいます。たとえば30×70cmくらい。
はたしてその一枚でどれだけの米が実るのでしょうか。
日本人の勤勉さとまじめさと忍耐強さを感覚としてではなく「実例」として目の前にし、しばし時間が止まってしまいました。
こんなことができる「われわれ日本人だからこその部分」、
形も強さも違えども、なんとか心のどこかに堅持したいものです。

いまでも何軒かの方々とボランティアのみなさんの想像を超える労苦を持って水耕は維持されていると聞きます。地名の「白米(しろよね)」にも魂が宿っているようにおもえます。
日本人はほんとうにすばらしいです。

涙が出そうになりながらも時計がわたしを促します。



泊めていただくお宅のある集落に向かいます。輪島からはけっこう離れたところです。

見えなくなってしばらく走りまた現れる家々は、それはすべてお寺の庫裏(くり)かなにかかとおもえるほどの大きさばかりでおどろきます。
上画像もなにげない(特別ではない)普通の集落です。すごくないですか。


日本はふつう衣・食・住といいます。イギリスはたしか住・衣・食でしたっけ。
この能登はそのイギリスと同じかあるいは住・食・衣と感じました。 なにせ家がすごい。

日々の生活は質素ながら住空間の確保を優先されてきたのでしょうか、そんな印象でした。
あとで聞いたのは葬儀を自宅でするためという意味合いも多いとのこと。大きい構えながら使っている部屋は一つか二つなんだとか。
「そのとき」のためにそうする、これも地域文化といえましょう。

おなじく興味深かったのは、能登半島に入ってからいわゆる住宅メーカーの住宅をほとんど見かけなかったこと。
聞けば新建材の住宅と在来工法で建てられたそれの比率は全国的には8対2なのに対し、この能登では真逆の2対8だそう。 うーむ。


ナビ無しで、道を行く方に尋ねながら山を超え川沿いを走り、何とかお宅に迷わずに着きました、17時前。
挨拶といろんなお話の後、しばし工房を見せてもらったり、まさしく見て学ばせていただきました。


夜、そのご家族と工房の若い人たちとともにふたたび輪島へ。
暦は2月3日、それこそ漆黒のようにおもえる夜に包まれた重蔵神社では豆まきがなされていました。昼見かけた袴の方々はこの方たちだったわけです。

地元の方、とくに昼間には見かけなかった子どもたち、中高生がたっくさんきていました。みな笑顔。

いまはなんでも手に入る時代、おなかも空かないそんな時代に、豆と同時にまかれるお菓子を目当てにいそいそと集(すだ)く子どもたちに、またあたたかい気持ちになりました。

能登、そこはかつてのすばらしい日本がまだ生きているとおもいました。

そしてその後、夕餉に入ったそのお店は輪島の「最深部」ともいえるところでした。
そこでは「ひと」をみました。

つづく


2009年2月12日(木)
部分修理
重箱の蓋の修理依頼をいただきました。

乾燥による収縮でしょうか、ほぼ全幅にわたって木地のつなぎ目とおもわれるところで割れてしまっていました。
それも向うが見えるほど隙間が開いています。


なので裏面も同じ範囲で傷んでいます。


こんなとき、
全面塗り直しのほうがもちろんすっきりと、傷んでいたのがどこなのか分からないようにまでできます。
今回は蒔絵がされていることもあり、丸ごとはもったいないということで割れ部分だけの部分修理をすることになりました。
この場合はやはり直したところをわからないようにすることはできません。

このたびの工程は、
隙間を埋め、下地で均し、漆の下塗り・上塗り、蒔絵補修。

補修に重ねた下地を研ぐとき、そして下塗りを研ぐとき、
旧い塗り面(傷んでいないところ)に砥石や炭(塗りの研ぎに用いる)が及ぶとそこをもとのおなじ表面にまで戻すことができません。
なぜか、それは簡単にいうと旧い塗りが硬化しきっているからです。

そんなことで、補修で付けた下地には硬化後その部分だけ砥石をあて、漆の下塗りのあとの炭研ぎもその部分だけ行うようにします。


作業完了です。


作業前、

裏面に届く深さとけっこうな下地剥離です。
幅と厚さをあわせた薄板をつくり、埋めました。
 

その後三度の漆下地付け、研ぎ、薄い下塗りのあと下塗り炭研ぎ、上塗り。


裏面。

朱漆はまったく同じものでも乾かし方(湿度・温度の違い)で色目が変わるくらいなので、手持ちの朱漆を調整して元と同じように再現するのはなかなかです。


2009年2月11日(水)
’さと’
「えべっさん」で福崎井ノ口の恵美須神社に行きました。

もうどれくらいになるかここ何年もの恒例になっています。
福崎中心地の少し北の山の中腹、
おだやかな坂道を、離れたところからは色模様にも見える露店を横目にたのしみながらあがると幟(のぼり)が迎えてくれます。


多くの人で賑わっていました。
むらのみなさんが、お越しになる方に楽しんで帰ってもらおうとご尽力されています。


故郷か、というと生まれ育ってはいないのでそうではありませんが、6年間住んだ福崎はたとえば自分を成したものの円グラフがあったならなかなかの面積を占めていて、行くといつもほっとしているのに気づきます。

それはその土地自体の持つ雰囲気とか波長とかだけでなく、そこで会える「人」から受け取る心地がそう感じさせているとおもっています。

国家の三要素は地・民・主権、
おなじく「まち」も人があってこそ。
ここでまた円グラフにもどると、その「人」にもきっとその土地の持つ力が入っている。
卵が先かにわとりが先か、になりますね。

素敵な人の多い福崎、すきなまちです。






過日ここにも書いた人前での’スピーチ’、昨宵やってきました。

オバマ氏のように、なんてもちろんのもちろんできるはずもなく、そもそもお題は自由とのことで内容も無く、
自分ではまたまた敗北感たっぷりでしたが、すこしの感じてくださるなにかがあったようで終了後おもいもしない表彰をいただきました。
そもそも審査があるともおもってなかったのでうれしくはありましたが、いまもう一回できるなら、と反省点多しです。

人前で話す、たとえこんなことでも慣れていなければやはり試練であり、
試練であるなら乗り越えればなにか変わっている、とおもいたい、、

ああ、勉強ってほんとうにそこかしこにあります。




2009年2月10日(火)
一木彫り
なにかと用事が重なり少し間があいてしまいました。

さて、けさは少し早めに起きまして姫路納税協会の清掃活動とPRのボランティアに行っていました。姫路駅南口です。

さいきんは老人会の方が周辺をときどき清掃されているとのことで少なめにはなったと聞きましたが、
それでもけっこう落ちているゴミ・吸殻に驚きつつ、朝からなんだか清清しくなりました。
たいしたことをしたわけではないですがやっぱり気の持ちようですね。



職場では大塩西之丁の狭間彫刻の修復作業も進んでいます。
すこし前にも同じ題がありましたがこの狭間は現行の祭り屋台狭間彫刻では珍しい(とおもわれる)いわゆる丸彫りです。
付け木もなく層も分かれていません。



高名な方の彫りだとの話も聞いたことがありますが、修復に際して旧い塗り・下地をめくってみますとうっすらと「鹿」と「松」(あるいは「マツ」)の墨字が確認できました。
むかしは飾磨を「鹿間」との表記をされていたようです。ちなみにうちにある古い彫刻には「シカマ」とカタカナです。

この牛の場面の左下の岩の部分です。
飾磨の松本義廣師によるもののようです。



平面部分を漆の下地を重ね補修していきます。画像は背面。


欠けは木を足し直します。 梅の花です。


何度かの塗り箔で浅くなってしまった彫り、特に葉の部分や人物のお顔の部分等を彫り直しています。
地道な作業がつづいています。


2009年2月6日(金)
左見右見(とみこうみ)
火・水・木と見聞を広めに北陸・岐阜方面に行っていました。
再会と出会い、あらためて納得したこと、それと新たに知ったこと、がありました。

いろいろ見聞きして体験して、自分が変わったつもりになっているのが一番いけないことで、
得たこと・再確認したことをもって、以降の「行動」自体が変わらないとなんにもならないですね。

といいつつそんな云々のまえに、自分にとってはやはりじっとしているよりはよっぽど良いようです。刺激はたくさんいただきました。

お世話になったみなさま見てくださっているでしょうか、
まずは取り急ぎお礼申し上げます、ありがとうございました。




2009年2月2日(月)
泣け歌
うちの近所の国道沿いのビルの一階に服屋さんをされている一家がありまして、小さい頃はとくにいっしょにスキーに行ったり家族ぐるみで仲良くさせてもらっていました。いまでは各地のイオンやフォーラスに何店舗も出されているおおきな会社です。

そこの次男のしげるくんが高校時代からバンドをしていて5年ほど前にはメジャーデビューも果たして今東京でがんばっています。「THE NEUTRAL」というバンド。
その彼らがあす3日のゴールデンタイムにテレビに出ます。
ぜひ応援してください。

2月3日、夜9時から日本テレビ系、
「誰も知らない泣ける歌」
司会:西田敏行・くりぃむしちゅー上田晋也





2月2日、わたしの誕生日。 36になりました。
もっともっといろんな経験を積みたいし、まだ伸び代があると信じている36です。

元日も誕生日も四月の年度始めも、自ずと刻みつづけられる連綿とした時のただの一点であって、特別でも何でもない。 とくに誕生日なんて個人の日。

どう捉えるかはやはり心の問題、
だからそんな日だけはいつもより増して自分を、自分の足下を、自分の向いている方向を、そして歩みのスピードを意識してみる日とします。いま自分の周りに在る幸せに感謝をしながら。

あすの朝、また日が昇るのは仮定にすぎない、とはどなたかの言葉ですが、普通に考えて人生半ばを過ぎています。

がんばります、それしかない。


2009年1月31日(土)
ヨーロッパ
アクセス解析、普段見方があんまり分かってないのでほとんど見ないんですが今朝久々に見ていて、なにげに国別のところをクリックすると末尾に「フランス」とありました、これにはびっくり。
もちろん一件だけですが、どんな方がどんな経緯で訪ねてくださったんやろう、と興味が湧きます。


ちなみに1月の国別、

1.日本
2.ネットワーク組織
3.米国営利組織
4.北米4年制大学
5.フランス

と出ていました。
2.のネットワーク組織は国内の会社組織の中(LAN経由?)でしょうか。


さらに一月の国内の都道府県別アクセス順位は、

1.兵庫県
2.大阪府
3.広島県
4.神奈川県
5.東京都
6.三重県
7.奈良県
8.千葉県
9.岐阜県
10.福岡県
11.京都府
12.岡山県
13.愛媛県
14.静岡県
15.滋賀県
16.栃木県
17.富山県
18.香川県
19.新潟県
20.北海道
21.愛知県

でした。
多くの地方の方にご覧いただけているようで嬉しくおもいます。
ですがやはり兵庫県だけダントツで、総アクセスの実に8割近くを占めます、いつもありがとうございます。


本来お伝えしたいこと、だけでなくあほみたいな話しも時々しますがあくまで日記なので笑ってやってくださいね。

さいきん身内で流行っている冗句が、


「またクルマ止まったん?(怒」

「何で知っとん?」

「日記見たわ!」

「人の日記勝手に見るなや〜」

「公開しとるがな・・」

「そやけどおれのおらんとこで日記こそこそ見よんやろ!、封書とか親書はたとえ身内でも・・・」

「だから世界に公開してんやん!!」

「そやけど$●Λ!Χ△Ψω煤E・!!」


やっぱあほです。
が、これからも宜しくお願いしまーす。
平成21年、はやくも一ヶ月が過ぎましたね。




2009年1月30日(金)
仏檀下地完了

別注のお仏檀の作業です。

下地重ね・研ぎ・修正地付け・修正地研ぎを終え漆の下塗りを待つ状況です。


一番手前が研いだままの色。
黒漆は顔料が入っていないので完成後色が透けていく方向に向かいます。そこでその対処として下地に墨をひいておきます。
手前の白いままの部分(よけ台)は溜め塗り(ベンガラ・赤漆塗りののち透き漆を塗り重ねる)のため墨は必要ありません。


引き出しも総堅地(漆下地)後研ぎ、墨ひき。
引き出し内部は朱漆を塗ります。


脇板(わきいた、側面)、戸(扉)も同じく。

 



戸の拡大、
堅地ならではの折り目正しい角の処理。




彫刻の下地も進んでいます。



↑ケゴミ彫刻拡大。
↓余間彫刻拡大、必要最低限の下地で、彫りの活き活きした様をできるだけそのまま残します。
彫刻は膠(にかわ)地をつかいます。
画像はすべて下地完了時。



狭間彫刻の鳳凰。羽根も’立った’ままです。


前机の唐草彫刻です。